辻本知彦|米津ルーザーのダンスが衝撃!その経歴と他の振付作品を紹介

人物
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米津玄師「パプリカ]「LOSER」のダンスがカッコいいと有名な辻本知彦さん。

ミュージックビデオやCMなどで多岐に活躍されています。

日本人として初めて「シルク・ドゥ・ソレイユ」の本メンバーに選ばれるほどの実力ですが、ダンサーの道を歩み始めたのは18歳と比較的遅めです。

その才能が開花する過程にはどのような経歴があったのでしょうか。

記事の内容
●辻本知彦さん振付のMVを比較
●辻本知彦さんの経歴を紹介
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辻本知彦さんのプロフィール

生年月日 1977年12月10日
身長 174cm
血液型 AB型
出身地 大阪府吹田市

辻本知彦さんが振付をした作品

下記以外にも沢山の作品がありますが、こちらに挙げたものを比べると辻本知彦さんの特徴がよくわかります。

「LOSER」では荒々しい心、「パプリカ」では子どものかわいらしさ、「風を待つ」では軽やかさと愛らしさが感じられます。振り付けをするときは「その相手の内面をどうやって引き出すか」を大切にしているそうです。

ミュージックビデオ

●米津玄師「LOSER」

手足の長い米津玄師さんの魅力も活かし荒々しい心の内を体現している印象です。

●米津玄師「パプリカ」

子供たちの伸び伸びとした可愛らしさに見入ってしまいます。

●STU48「風を待つ」

爽やかさと軽やかさ。

米津玄師さんの「LOSER」とは雰囲気が大きく変わっています。

●Sia「アライヴfeat.土屋太鳳」

その他多数

CM

ポカリスエットCM「ポカリ青のダンス 魂の叫び」
その他

辻本知彦さんの経歴

現在までの道

1995年 18歳でストリートダンスに魅かれてダンスを始める

1997年 渡米

2004年 金森穣主宰Noism04に所属

2011~2014年
シルク・ドゥ・ソレイユ「マイケル・ジャクソン:ザ・イモータル・ワールドツアー」27か国485公演を成功させる

2015年以降 ミュージックビデオ・CM・舞台などの振り付けで幅広く活躍

18歳でダンスに目覚めた辻本知彦さん。それ以前は小学生の頃から高校生まではバスケットボール一筋だったそうです。

通学されていた高校はバスケットボールの強豪として有名な「能城工業高校」に相対するレベルの学校です。

「世界中のどこへ行っても体一つで表現ができるものに取り組みたい」という思いからダンスを始めました。

世界で活躍するダンサーといえば幼少期からバレエ漬けの日々を送っていることが多い印象ですが、辻本知彦さんはそれに比べるとかなり遅めのスタートです。

バレエの基礎も学ばれ、一時期はディズニーのダンサーとして活躍されていた時期もあります。

2011年からはシルク・ドゥ・ソレイユのダンサーとして活躍されております。

この「シルク・ドゥ・ソレイユ」。登録メンバーは2000人ほどですが、辻本さんのように本公演に出られるのは50人程度ということからも、実力がうかがえます。

ダンス・振り付けとの向き合い方

辻本さんの振付はバレエとストリートダンスを融合したような特徴があります。草刈民代さんとの対談の中で、これまでの経験に関して以下のように話されております。

ダンスを始めた最初から融合しようと思っていた。周りの人からは『実力もない奴が何で変なことやってるんだ』とみられていた。思い返してみると、この時点で潰れていたかもしれない。でも、真似をするのは楽しくなかった。シルク・ドゥ・ソレイユの時も『自分だったらどう踊るか』を大切に考えてきた。
STU48の振付の時には『なんでみんな頑張ってくれないんだろう』と苛立ったこともあった。でも、このメンバーさんのスケジュール・仕事内容・彼女らが求められていることを知ることで、とても忙しい状況にあることが分かった。ひとりひとりとしっかり向き合い、信頼して仕事を進めていきたい

まとめ

ダンサーとしては遅めのスタートを切った辻本さん。

もともと運動をされていたことに加え、スポーツ強豪校で活躍できるほどの「努力を継続すること」が身についていたからこそ、バスケットボールとは異なる分野でも世界レベルの実力が身につたのだと思います。

コロナ禍にある現在、今までと違った生き方を選ばなくてはならない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

人と違うことをする勇気
自分が進みたい方向に向かって努力を続ける精神力

辻本さんの生き方にふれ、この現代に自分らしく生きていくためのヒントをもらったような気がします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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