2020年10月6日、漫画家のまつもと泉がご逝去されました。
ツイッターでも数々の悲しみの声が聞かれております。
代表作「きまぐれオレンジ☆ロード」をもう一度読みたくなってしまいます。
ご逝去に際し、まつもと泉がどのような道を歩んできたのか、改めて知りたくなりました。
そこでわかったことは、病と闘いながらも懸命な姿でした。
読者を楽しませるためにペンを動かしたいと思いながらも儘ならない身体。
晩年は、自身の闘病体験をもとに出版社の方や読者の役に立てるようにと活動もされておりました。
こちらの記事では、主にまつもと泉の闘病について書かせていただいております。
まつもと泉の病気と死因
結論からお話しします。
晩年は脳脊髄液減少症の不定愁訴に悩まされていたようですが、それが命に直結していたのかどうかは明確な情報がありません。
主に悩まされていたものは上記のほかに脊柱管狭窄症です。
脳脊髄液減少症
ウイキペディアで「脳脊髄液減少症」について調べると、70以上の症状が挙げられています。
そしていずれも、見た目ではどれくらい辛いものなのか分かり難いものばかり。
病名がわからず、様々な治療を重ねても出費がかさむばかり…という方も多いようです。
まつもと泉の場合は全身倦怠感・かゆみ・頭痛・肩や首の痛みその他たくさんの深い症状があったようです。
何十万円もするマウスピースを購入したもののかえって症状が悪化したことも…。
あまりにも症状が改善しないことからご家族様より「心の病では」と疑われて入院。
しかし、その病院で体調不良を訴えても取り合ってもらえず喧嘩別れのような形で退院したこともあるそうです。
さらに他院を訪れ症状を説明しますが、「そんな症状が出るはずはない」と。
その後2年ほどは治療をあきらめ、TVゲーム三昧の日々を送ったそうです。
「脳脊髄液減少症」という病気。
症状の辛さが外観として分かり難いことや症状が極めて様々であることから、
「苦しみをわかってもらえない」
「検査をしても異常が見つかりにくく治療方針が見つけにくい」
という困難さがあるそうです。
まつもと泉は発症から診断までに約5年かかっています。
その間、症状の辛さに加え
「周囲の人から辛さに対する理解が得られにくい辛さ」
「漫画家という道を離れざるを得ない辛さ」
といったものとも闘われてきたのではないでしょうか。
病名がわかった時には大きな安堵感が得られたそうです。
同じ御病気の方の中には、病名が判明したことで泣き崩れる方もいらっしゃるそうです。
脊柱管狭窄症
背骨の中の神経が圧迫され、両足に痺れや動きにくさが出る病気です。
まつもと泉は晩年、これに伴う足の痺れにも悩まされていたそうです。
正座した後に出てくる足の痺れと歩きにくさ…。
これが一日中絶えず続いているのかと思うと、とても大変なことです。
病状の変化
1958年 10月13日 富山県に誕生
1984年 「少年ジャンプ」において『きまぐれオレンジ☆ロード』を連載開始
1999年 「スーパージャンプ」で新零細開始の予定だったが、原因不明の体調浮揚により延期。
2004年 上記の諸症状が4歳の時にあった交通事故が原因の脳脊髄減液少症であったことが判明。
ブラッドパッチという治療を受け回復。
2010年 テレビ出演にて脳脊髄液減少症や自身の今後の活動について語る。
2015年 心疾患に伴い手術を受ける。
2016年 駅で男性とぶつかって頭部を強打し、脳脊髄液減少症が再発。3か月間寝たきりの状態で自宅療養。
2018年 1年1か月ぶりにブログを更新。活動再開。
2020年 入院中の病院で死去。脳脊髄液減少症の不定愁訴に悩まされていたものの最後は眠るように亡くなられました。
まつもと泉の妻や子供
奥様は富山出身の4歳下のかたです。
お子様についても調べましたが、明確な情報はありませんでした。
晩年は都内でご夫婦2人暮らしをされていたようです。
まとめ
61歳という若さで他界された、まつもと泉。
あまりにも早すぎる死にたくさんの方から悲しみの声が上がっています。
それとともに、青年期の素敵な思い出を彩ってくれた作品として感謝の声も聴かれています。
沢山の素敵な作品をこの世に遺していただき、ありがとうございました。
鮎川まどかは(島津冴子さん・櫻井智さん・鶴ひろみさんの声とともに)永遠の恋人です。
そんな彼女を産み出してくれてありがとう、ゆっくりお休み下さい、まつもと泉先生…— Taddy S (@taddy31) October 13, 2020
最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
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